『季節』アフタートーク 白井晃様

2025.12.10

劇団普通『季節』のアフタートークにて、白井晃様をゲストにお迎えしお話しいただきました内容を、アフタートーク回にお越しいただけなかった皆様にも是非ご覧いただきたく、お許しをいただき書き起こさせていただきました。是非ご覧くださいませ。

ゲスト 白井晃様(演出家・俳優・世田谷パブリックシアター芸術監督)
石黒麻衣(劇団普通主宰)

舞台写真:福島健太


石黒 本日はご来場ありがとうございます。そして、アフタートークにもたくさんのお客様にご参加いただきまして、ありがとうございます。まず初めに、私が劇団普通の主宰で作・演出の石黒と申します。本日はよろしくお願いいたします。そして、このアフタートークのゲストとして、大変恐れ多くも、芸術監督の白井晃様にお越しいただきました。

白井 そんな、”様”なんて。芸術監督を務めています、白井と申します。よろしくお願いします。

石黒 はい、それでは始めさせていただきます。

白井 はい。

石黒 まず初めに、私ども劇団普通は、世田谷パブリックシアター フィーチャード・シアターというもので、お声がけをありがたくも頂戴しまして、それでトラムでの公演が叶いました。そのフィーチャード・シアターについて、白井様から、お願いいたします。

白井 はい。私ですね、3年前からこの世田谷パブリックシアターの芸術監督を務めさせていただいておりまして。世田谷パブリックシアターは主劇と言われる600人の劇場と、こちらのシアタートラムの200人あまりの劇場の2つを持ってるんですけども。その中で、是非今までこのシアタートラム、世田谷でまだ上演していただいてないカンパニーの皆さんにできるだけお使いいただきたいなと。で、劇場の方からもサポートする形で、若い劇団というのはちょっと失礼ですけれども、この劇場にたくさんの新しい才能の皆さんが集まっていただければということで、私たち劇場の方からお声がけをさせていただいて、今回公演を行っていただいたという形です。今年は、フィーチャード・シアターという形で、フィーチャードっていうのは、劇場がフィーチャーしたっていうような意味合いなんですけども。先日ヌトミックさんと、そして劇団普通さん。この2つのカンパニーを今年度はお招きしたという形でございます。あの、ちょっと、お客様にご質問させていただいていいですか?シアタートラムに初めてお越しいただいたというお客さんはいらっしゃいますか?あ、何人かいらっしゃるんですね。あ、そうですか、ありがとうございます。まあ、ご縁でね、こういう…。あ、劇団普通を初めてご覧いただくっていう方は?お、結構いらっしゃいますね。

石黒 あ、すごい。ありがたい。ありがとうございます。

白井 でね、こういう形で、この劇場によく来ていただいてるお客様が、新しいカンパニーの作品を見ていただける機会にもなるかと思いますし、本当に嬉しい限りです。この劇場は今年で28年目なんですけれど、初期の頃に私も劇団を持っていまして、その頃に若い…まあ若いと言っても20年以上前の話ですけども、世田谷パブリックシアターやシアタートラムに随分と劇団でお世話になって、そこで活動させていただいたという経緯がありまして。そうやって公共劇場が、こういう形で劇団をサポートしていけたらいいなという風な思いを持ってるんですけども、はい。今日は楽しく拝見させていただきました。

石黒 ありがとうございます。そうしましたら、本当に怖いような気持ちもするんですけど、本日の感想などをお伺いできますと幸いです。

白井 いや、そうですね。あの2年ぐらい前でしたっけ? 石黒さんと、こうやって、劇場に来ていただけませんかとお話しした時も、本当に今のようなお話っぷりで、恐れ多くも、みたいな。そんなことはないですっていう話をしてたんで。今日拝見させてもらって、今までも劇団普通を拝見はしてたんですけれども。いつも感じることですけど、私たちのこの日常のある一部分を切り取ったような形で、そこにおける、なんて言いますかね、人間の機微というか、そういったものが垣間見られて。今日も、面白かったですね。なんて言うか、しみじみ面白かったんです。それで、これ、石黒さんの書く世界って本当にしみじみ面白いなと思いながら拝見していて。どうでしょうね、作品を見ていく中で、ドラマとか普通にあったらこの話はどういう展開していくのかな?っていう形で見てみるものもありますでしょう。ですが、今日見ていて、自分が何を考えてんのかなって見ながらちょっと思い始めたのは、この人たちどういう人間関係なんだろうっていうことで。皆さん考えられますよね。ん?ちょっと待って、え、おじさん?ということは、え、これ息子?ということは、え、誰?っていう感じで。あ、どういう人間関係なのかなっていうことをずっと思いながら見てて。半分ぐらいですかね、見た時に、あ、きっとこうだと思い始めて。で、違うかもとか思うんですけど、あ、やっぱりそうだ、こっちとこっちの男性は兄弟なんだな、おじさん?おじさんだけど、お父さんはいるけど、こっちの篤志さんというおじさんがいて、聡志さんがいて…みたいな感じのその構造を頭の中で描いていって、ああ、あるあるこういう関係って私たちにも身に覚えがあるよなという。私の親戚関係でもね、こういう関係ってよくあるなっていうのが透いて見えてきて。なんて言うんでしょうね、拝見しながら、自分の親のこととか、自分の親族のこととかをなんとなくこう思い浮かべていて。ついには、そうだよな、あの時いとことこんなこと言ったなとか、ああこんなことで最近疎遠になってるなとか。もしくは、私ぐらいの年になるとですね、親戚みんなが集まるのは、誰かおじさんが亡くなったとか、おばさんが亡くなったとか、そういう時にしか集まらなくなるんですね。で、その時にまた会おうね、たまにはいとこ会でもやろうよとか言うんだけど、なかなかそういうわけにもいかなくて。結局また、どなたかのいとこのおばさんがとか、次はうちの母が亡くなった時かな、また会うのは、みたいな形で、そういうケースがあるんですね。で、その時になんであの人来なくなったんだろうとか、またそういう話がよくあったりして、なんか思ってることあるんだろうなとかっていうようなこともよくあったりするので。そういうことを、拝見しながら自分の家族だとか、ひいてはこの家族、親族がどういうことがあったんだろうかとか、どういう時間の中で生きてこられて今があるのかなっていうようなことを、見てる側が自分の人生の相似形のような形で見る、そういう今回の作品だったなと。はい、そんな思いで拝見してて。で、みんなの何気ない会話の連続の中に、あるあるっていう会話が多いんですけども。で、気が付いたら1時間50分ぐらい経ってて、え、こんな時間経ってたんだって。本当に面白く拝見しました。ありがとうございます。

劇団普通『季節』

劇団普通『季節』

石黒 こちらこそありがとうございます。そうですね、私も今回描きたかった作品っていうのは、こうやっていろんな人が出てきて、それで誰が主役ということではなく、それぞれの人生があるっていうこと、それを垣間見るような作品を描きたいなと思っていて、この…。

白井 あ、そうだなと思いました。あ、すみません、どうぞ。

石黒 あ、いえいえ、すみません、話すのが本当に下手で…。もう本当に、こういった親戚の集まりというのは、実際に私が参加していたのは本当に子供時代のことで、大人になってからはなかなかないので。もう今はとても懐かしいですし、親戚もそれぞれ事情が変わってきて集まることはなくなってしまったので、もう消えゆくものとして、とても懐かしんで書きました。

白井 そうですね。そういった意味では、だんだん見てるうちにですね、後半になって思ってきたのが、この人達一体何のために集まってるんだろうって思ったんですね。いや誰かの、先ほど申し上げたような、誰かの三回忌だとか、七回忌だとかという形でみんなが集まってるわけでもなく。なんの目的で集まってるのかは全然わからないんだけど、なんで来ないんだって言ってるっていう。何があるんだろうと思うんですけど。それってもしかしたら、ある故郷の、架空の親族の集まりかもしれないですけど。石黒さんが想像された、今おっしゃったようなこんな会議っていうのがだんだん僕たちの中でなくなってきたということも思い浮かべた上での、架空の集まりなのかもしれないなっていうのは今お話を伺って思いました、はい。そういう風に考えてみると、なんかすごく演劇的だなっていう風に思います。親族がこう、横に並んでる絵が微妙に絶妙で。普通こういう構図取らないよねっていう、すごいこう、横並びの妙な人間関係の揺れてる感じがくすぐったかったですね、見てて。

石黒 はい、ありがとうございます、もう。本当に、実はこれが何の集まりっていうことを特定していないのは理由があって。やっぱり家族であるとか、親族の、繋がりっていうものがあるんですけれども。ある種の部分では濃い部分もあるので、皆さんそれぞれ家族の形は違うので、濃い部分もあるけど、薄い部分もあって。ただ繋がりっていうのがあるものが、その親族っていうのがだんだん概念だけになってきていて、こういった本当の血の繋がりであるとか、関係性の繋がりっていうものは、あるけど見えないっていうのを表現したくて、何か理由があればそれは集まるものなので、それで集まらないって理由はないということにしました。

白井 なるほどね。やっぱりそうなんですね。あの、ちょっと違う見方をすれば、今おっしゃったように、血の繋がりとかっていうものがあまりその…日本の社会って昔はそう、本当何十年前はそういうのがすごく色濃くあったと思うんですけど、また地域によっても違うと思うんですけども、あまり血族の血縁とかね、そういったものがなくなりつつありますでしょ。で、しかも子供たちも少なくなっていってますし、大家族ってのがなくなっていく中で、余計そういう形があるんですけども。でも何か、たまにね、親族とかが集まるとぽろっと出てくる言葉が、全然、十何年も会ってないのに、「やっぱり親族はええね」…あ、僕は関西なんでごめんなさい、「ええね」ということが出てくるんですよね。何かわからないけど、共感系があるというようなものがあって、それが何か自分の生まれてきたバックボーンみたいなものを共有している、そこら辺の安堵感というものがちょっとあって。でも、そういうものが今なくなりつつあるから…うん。むしろ、それを今石黒さんが描かれたのかなっていう。お話を伺って思いましたけど、いかがですか?

石黒 そうですね。ただ、このあるがままをそのまま記録したいっていう気持ちでも描いていて…。そうですね。なので、この家族の中には本当にいろんな価値観を持っている方がいるんですけど、それも何がいいとか悪いとかではなく、その様々な価値観を持ってる人が今この世に存在してるって、隣り合って暮らしてるっていうことも描きたいなっていう風に思いました。

白井 そうですね…。石黒さんは、ご自分で本を書かれて。で、俳優さんに、例えばどういうお願いっていうか、演出する上で、どういうところを注目してやってほしいってお伝えされるんですか?

石黒 そうですね。なかなか演出が難しい作品であるとはもう常々思っていまして。まず、とりあえずこの状況はどんな状況なのかっていう。関係性とかの共有を特に重点を置いてするようにしています。

白井 うん、なるほど。会話劇というのと違って、この態度劇というような、お言葉をよく使われてたんですけど。確かにちょっとした、何かが、家族がいるという中で、ちょっとした間延びをするような空間とか、何を話していいのかわかんないような時の所作とか、その辺のことも、もぞもぞっとするような感じのところも、結構気をつけて見てらっしゃるのかなと思ったりしたんですけど、どうですか?

石黒 そうですね。喋っている人と同じぐらい、聞いている側の様子で全部その話してることの受ける印象が変わってしまうので。もうむしろ、もう本当に同じぐらい、五分五分ぐらい話してる人と聞いてる人の態度…特にたくさん出ていると、こっちを気にしたりあっちを気にしたりっていう処理がとても大変なんですけど。私が常々人間を見てて思うのは、普段はものすごい数の情報を処理してる。この人とだったらこの情報共有してるけど、この人がいるから言えないとか。この人とは共有したくないものをこの人と共有しているとか、本当にものすごいものを普段無意識のうちに処理しているんですけど、それをなんとかこの舞台の上で再現できないかなっていうことを考えて、作品を作っております。

白井 なるほどね。ですから、こちらで長々話してる時に、こちらの家族はその時にどう動くかによって、今もうどうでもいい話やと思って聞いてるのか。そういうのがね、すごく見えてきますよね。その辺のことはすごく感じました。確かに、我々も何人か人が集まって、その時に話してる人の内容によってはですね、関心のあるものには非常に前のめりになるでしょうけど、その関係性の中で嫌厭してる関係の中だったら聞き方も違うでしょうし。もしくは興味があるものないものによって、立ち居振る舞いだとか。それから、何気にトイレに立つ姿も変わったりしますよね。そういうところも含めて、そこら辺の観察が面白いというか…。人がお好きなんですよね、きっと。

石黒 そうですね。分からないので、すごくじっと観察してしまうというか。

白井 そうですよね。以前お話しした時もなんかそんなようなお話をさせていただいてることがあったと思うんですけど。

石黒 そうですね。この親戚の会話も子供の頃から、まあ、子供はこんな大人の集まりにそんな混ぜてもらえなくて、隣の間で遊びながらちょっと窺い知るような感じだと、どうしてそういう態度を取ってるのかとか、どうしてこの時悲しそうにしてるのか笑ってるのかとか分からないので、すごく考えて、会話に起こしてみて、後から大人になって考えて分かるっていうようなことがすごくありました。

白井 これはもしかしたらちょっと筋違いかもしれないですけど、今回劇団普通さんにシアタートラムの空間でやっていただいて、トラムって後ろまで入れて200ちょっとぐらいの空間なんですけども。今まで石黒さんの舞台を拝見した時の空間とちょっと違ってね。ここ結構間口が広いんですよね。隣にあります、主劇よりも実は間口だけは広くて、袖はないんですけど、間口が広くて。で、こういうような形で、勾配も割とある劇場なので。今、台組みが組まれているような空間っていうのが非常によく見えますよね。なので、うーん、なんて言うかな、ここの台組みが、今の僕たちの日本の生きている家族の、親族の部分を切り取った…蟻の生態で、横で見るようなものがありますよね、生きてるのをどう動いてるって。なんかそういうのを見てるみたいな、ちょっと俯瞰して見れてるみたいな感じでこの家族の様子が見えていて。人間の生態を見ているような、そんな気分にもなって。で、おまけに、石黒さんの趣旨がどうかはお聞きしないと分からないんですけど、やっぱりこの中に今の日本の社会が映し出されてるような気がするわけですよね。

白井 で、石黒さんはいつも茨城の方の言葉という風に言われてて。でも今回、場所の設定もはっきりはしていないじゃないですか。東京の千歳船橋に住んでるということだけは、世田谷区ですからね。これわざとですか?

石黒 あ、そうですね。そこだけ…。

白井 世田谷区にしていただいて。

石黒 しっかり指定して。ここがどこの地方かは、あえて指定していない感じです。

白井 うん、なんだけど、やっぱり地方を出て、戻ってくる、どうする、で、その家を誰が守るんだとかっていうことって、私なんか実際リアルな問題、課題としてあったりするので。そういうのを、本当に今の日本の現状をなんとなく俯瞰しながら感じさせてもらえる。ああ今の日本だなと思いながら見てたんですけど、その辺のことってのはどうなんですか?この地域とか、首都圏とちょっと離れたところにありそうな空間にわざと設定されてっていうのは、やっぱりそういう意識はありますか?

石黒 そうですね。本当の始まりは、私がこのリアルな芝居を作りたいって思った時に、やっぱり自分に近い親であるとか、親族であるとか、兄弟であるとか、友人である、ところが一番近くて自分もよく理解しているところなので、そこの関係性から始めようと思って。それで描きたいエピソードなどがあって茨城弁の芝居を始めたんですけど、やっていくうちに、それはお客様に教えていただいたことが多くて。東京と地方との関係性であるとか、田舎の方の風習と東京の風習の違いとか、それによって生じる親子の摩擦であるとか、そういったものにとても共感いただくことが多くて、私が逆にそれで新たにそういったものに開眼したという部分が、はい。自分ではもう本当に自分のよく知ってることを描いただけのつもりでいたんですけれども。それで逆に、意識的に考えるようになりました。

白井 やっぱり違いますか?東京のというか、東京の家族のあり方とかと、茨城の方の、ご出身のところの家族の関係ってのはやっぱり違うなって感じられます?

石黒 そうですね。私が本当に、田舎っていうものが存在しない生活っていうのは、自分自身が送っていないので分からないんですけれども。稽古場でも、キャストの皆様と、自然に、自分はこう思ったとか、自分の環境がこうだったのでこう思いましたっていうようなことを教えていただいて、それでやっぱり、この田舎っていうものを持たずに、生活をしてこられた方には本当に違うんだなっていう感想をいただいて、そのようなものなんだろうなっていう風に思っています。

白井 そうですよね。

劇団普通『季節』

劇団普通『季節』

石黒 はい。もう本当に、先ほど白井様もおっしゃった通り、ここに縮図が作れたらいいなっていうことはちょっと思ってまして。私が本当に、人間の生活の細部のようなものにすごく美しさを感じるので、こうやって近くで見てる時もすごく細かく凝視して楽しいし、遠くから見ても全員がちゃんとそれぞれの本当の動きをしてるかっていうのを見て、それもすごく楽しく自分で見てますし、本当に、もしかしたら自分の快楽のために作ってるんだなって…。

白井 いや、でもそれはそれでいいんじゃないかと思いますし、自分も作品作ってる時は、たぶん自分が見たいものを作ってるんだという風に思いますしね。それでいいんだと思いますし。それを共感していただけると…。あ、共感という意味では、石黒さん、どうなんですかね。作り手として、観客の皆さんとこれを共有したいんだ、というものをあえて言葉にすると、どういうものだったりします?

石黒 そうですね。自分としては、意識的にこう思ってほしいとか、そういったことがないようにっていうことを逆に気をつけて作っていまして。なので、見て、思いがけない反応があったりとか、いろんな反響をいただけるとそれを見てすごく、この作品を通していろんな感情の交換ができること、それをすごく楽しみにしています。もう、作ってる時はとても孤独なので、自分の頭の中にしかないので。

白井 そうですね。書かれてる時にはやっぱりそうですよね。でもなんか、よくあるのは、ここでこうで、この感情、この主人公の感情にお客様が同化してもらって、例えばその主人公の感情に寄り添ってほしいとかっていうようなこととか出てきたりすると思うんですけど、ちょっとそれとは違うんですね、きっとね。

石黒 そうですね。思ってることに、なんか違うなとか、なんであんなこと思うんだろうみたいに思っても、やっぱ分かるなと思っていただいても、どちらでもいいかなっていう風に思ってます。

白井 へえ~。なるほどなあと思って、面白いなと思って…。何か、私が言うのもなんですけど、何かご質問されたいことございませんか?石黒さんに。なんか司会者みたいに。あ、どうぞ。

(質疑応答が行われる)

(クラクションの音)

石黒 あ、先ほどのあのクラクションが5分前の…。

白井 そろそろということですよね?そうですよね。そうですか。じゃあそろそろ。名残惜しいですけど、でも本当に、演劇っていろんな表現があって、私いま隣の主劇の方で自分の演出作品を上演してるんですけど。本当にね、こうやって会話のその隙間にある人間の感覚に、観客が注視、注目しながら見る表現なので。たぶん照明のキューも10個以内だったんじゃないかなと思いますし、音楽も何もかかってないし。私なんか隣でもう、全然違う方向の、音楽たくさんありますし、照明のキューもいっぱいあるような芝居やってるんですけども。でも本当に、全く対照的なゆえに、すごく演劇という表現の豊かさというか、幅の広さっていうのを感じながら楽しんで拝見させていただきました。今日はありがとうございました、本当に。

石黒 ありがとうございます。あの、お知らせなどございましたら。皆さんご存知だとは思うんですけれども。

白井 いえいえ。劇団普通の公演がここで14日までやっていますので、是非ともまた、お友達や皆さんのご親戚にご宣伝いただければと思いますし、あのよろしかったら隣で全然違う『シッダールタ』という作品をやっておりますので。また来年には、杉原邦生さんの『黒百合』や、瀬戸山美咲さんがやる『コーカサスの白墨の輪』という主催の公演がございますので、そちらもお越しいただければ幸いでございます。あ、直後にですね、ネクストジェネレーションでMWMWというカンパニーのダンス公演もありますので、合わせてご来場いただければと思います。はい、ありがとうございました。

石黒 ありがとうございました。


2025年12月6日(土) シアタートラム